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2008年07月13日

書評 : 計算不可能性を設計する

計算不可能性を設計する―ITアーキテクトの未来への挑戦 (That’s Japan)

社会における計算能力を扱った対談本。
この本での議論は、もはや社会にとって計算機による計算能力やそれによる計算可能性内での意志決定は常態化しているが、その社会的重要性を踏まえられていない情報技術者・研究者(アーキテクト)たちと、そこへリーチできていない社会学という今の日本社会の現実を踏まえて、計算不可能性をキーワードによりよいではないな、もう少しましな社会とそれを支える計算能力への道筋をつけようと努力している。
対談の中で明確な結論と道筋が出ているとは思わないが、その中から拾い出すべきものは多いと考えるし、アーキテクトの末席を汚しているかもしれないぐらいの自分のとっても考えさせられることが多い対談だと思う。
システム設計をする人間には必読。


昨年国内のMS MVPの集まりで神城先生とお会いしてから、一度読んでみようと思ってからもう結構立ってしまった。反省。そのときの講演での思想的な背景がこの対談本でより明確にわかったような気がするので、その点でもこの本を読んだ実りは大きい。

日本の新聞とは自ら第四の権力と言ってしまう集団だ。

 新聞とは報道機関ではなく権力装置であると中の人は考えているらしい - アンカテ

彼らの考える「報道機関のあり方」と私が思うそれは一致しないだろうとは思ってましたが、そういうレベルの問題ではなく、彼らにとっては「報道機関としての正しさ」みたいなことは最初から眼中にないようです。

彼らにとって、毎日新聞とは何よりも権力装置であり、「不祥事」とは権力を争う戦争であり、頭を下げるのは戦争の中での戦略的撤退にしか過ぎない、ということみたいです。

日本の現マスコミ、特に新聞は第4の権力と自ら言ってはばからないし、ずっとそう言い続けてきたので、この考え方は少しナイーブすぎるんじゃないだろか。

また日本の新聞は米・英のようなジェントリー・エスタブリッシュメント向けの新聞高級紙、労働者階級向けの大衆紙が明確に分離しなかったし、その販売方法もあって、常に大衆紙的な立ち位置にいるので、扇情的に常の敵を探し求める傾向が強いと思う。

従って、日本の新聞にある意味冷静で建設的な政策提言や、客観的な何かを求めても仕方がない気がする。

自分の立場で今の日本を冷静に見たいときには、自分の立ち位置を考えて海外紙を読むしかないという、なんかもうあきらめてますよ。

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